感覚的な問題ではあるが、喫煙者と聞くと前世紀な感じがする。
何でも古いものがダメ、新しいものが良いというものではないが……なんだろう。
古い感じ。
常に進化を求め、変革改革と主張するのも前世紀的な感じがする。
確かに伝統等というだけで意味不明な理由によって残っている物事もあるが、
普遍的な要素を持つために今尚も存在するという場合も多々ある。喫煙者である僕は、既に20年以上もほぼ毎日煙草を吸い続けている。
これまでに吸った煙草の量は東京ドーム何個ぐらいになるのだろうか。
酷い時はタバコ無しでは30分もいられなかった。
ここ数年は一日に0,5〜1箱ぐらいのペースとなっている。
「米国魂」という銘柄も最近ではコンビニでも見かけるようになった。
しかし、喫煙可能な場所は減少するばかりである。喫煙後に臭う自分の毛髪や皮膚、そして衣類。
これが非常に不快である。 それらが受動によるものとなると、なおさらだ。
本当に食事をする場所においては、全面禁煙にしてほしい。
一方で喫煙者としては、喫煙可能な場所を別に確保して欲しいという思いもある。
しかし、その都度喫煙場所を見つけなくてはならないという点が非常に手間となる。
常に進化を求め、変革改革と主張するのも前世紀的な感じがする。
確かに伝統等というだけで意味不明な理由によって残っている物事もあるが、
普遍的な要素を持つために今尚も存在するという場合も多々ある。喫煙者である僕は、既に20年以上もほぼ毎日煙草を吸い続けている。
これまでに吸った煙草の量は東京ドーム何個ぐらいになるのだろうか。
酷い時はタバコ無しでは30分もいられなかった。
ここ数年は一日に0,5〜1箱ぐらいのペースとなっている。
「米国魂」という銘柄も最近ではコンビニでも見かけるようになった。
しかし、喫煙可能な場所は減少するばかりである。喫煙後に臭う自分の毛髪や皮膚、そして衣類。
これが非常に不快である。 それらが受動によるものとなると、なおさらだ。
本当に食事をする場所においては、全面禁煙にしてほしい。
一方で喫煙者としては、喫煙可能な場所を別に確保して欲しいという思いもある。
しかし、その都度喫煙場所を見つけなくてはならないという点が非常に手間となる。
そこで、吸わないという選択肢を採ってみる。
自分自身ではこの選択肢を思いつく事さえなかったであろう。
dead or alive的な発想になりがちなので、ルールを決めた。
まず、外出時にはタバコを持たない。
6時間空ける。
結果、1日の本数が3~4本となった。
最近では喫煙後に疲労感を感じるようにもなってきた。
反面、珈琲の消費量がさらに増えた。
煙草無しの珈琲なんて拷問であるとさえ思っていたが、むしろ珈琲を欲してしまう。
きっと調整期間であると思いたい。
珈琲と煙草。それは珈琲だ。