had my father passed away two months ago. he was 64.
死の知らせを聞いた時、僕は空を見上げた。
秋空へと変わる頃の空には澄んだ青色を背景に白色のフェザーのような雲が浮かんでいた。
今でもその瞬間の空が一枚の絵画のように目に浮かぶ。
こういった時、人は空を見上げるようだ。少なくとも僕はそうした。
そして、街の音に耳を傾け、乾き始めた空気を吸って確認した。
この瞬間が常に変わり続ける世の中において、ほんの一瞬にすぎないことを。
そして彼は既にこの世に存在しないということを。僕はそれらのことを受け入れた。
それから、僕にとっては何ら意味を持たない事柄が怒濤のように押し寄せては過ぎて行き
2ヶ月が経った。
then i thought, since this is my personal weblog, should write up here.
僕が死んだ時、何を希望するか。
書面にして持ち歩くのも邪魔、公開範囲を友達に設定したfacebookに上げるような事でもなく。
そもそも、会った事もない友達のトモダチもいるわけで。
iphoneのメモにでも記しておけば良いのだろうか。今の段階ではそうすることにしよう。
内容は非常にシンプルなのである。
葬式不要、戒名無用、墓不要、死体(遺体ではない)は完全に跡形もなく燃やして欲しい。
それが無理であれば骨を粉末状にして廃棄してほしい。
ちなみにブラックスーツもタイも不要である。
常々、家族へは伝えてはいるが、やはり何か確認できる形で残す必要があるようだ。
さもなければ、既に存在しない者へ対して何ら意味を持たない事柄が残された人々へもたらされるのである。僕にとっては父親と過したこれまでの時間が重要であって、それは記憶として僕の中に存在し続けるのである。しかし、すべては過去の事であって現実においては、もはや僕と彼との間には何も存在しない。もちろん、遺伝子情報として僕が存在する限り、彼のものが僕の体内に組み込まれているのではあるが。
いずれにせよ、僕はまだ生きていて彼は存在しないという状態がこれからしばらく続くようだ。