「ケッコンしないの?」 「ケッコンすれば良いのに」
恐らく親切心(?)から言ってくれていると個人的には捉えているが、どうだろう。
子供の頃に父親と同世代の俳優が若い女性と結婚したのを見て、
こういうのが良いなぁ、とぼんやりと思ったぐらいで願望が無い。
しかし、僕は心身ともに男性であるので女性と接する事は重要であると考えている。
やはり感受性という部分において性差が存在すると感じるからだ。
それにしても、「早く結婚をしていただきたい思い」での野次はあまりにも強引な気がする。
やはり発言者の特定、さらには謝罪するところを報道するという一連の流れになる。
いつ頃からだろうか、カメラの前で頭を下げての謝罪というのを目にするようになった。
仕事とは言え、目にするのも辛い光景だ。
こういう状況に陥るという事であれば、責任を避けようとする人が多いのも理解できる。
水戸黄門症候群の表れである。
先日、未来の働き方についてのセッションに参加した。
老若男女が集い、今後の働き方について討論するというものだ。
社内起業を認める、会社間でのインターンシップを認める等のアイデアや
個人における社外活動を充実させる等の意見が出ていた。
自身の肩書や所属先を気にせずに議論ができる場を設けるという点において、
良い方向に向かいつつあるのではないか。
きっと世の中の大部分が被雇用者であると思われるので、
会社員同士で議論する事が世論の1つを形成する上で重要である。
僕は非正規雇用者でも子供が育てられる社会環境になれば、と発言した。
家族という単位も変化していて、居住環境も変わってくるであろう。
血縁関係の無い家族というのも存在し得ると思う。
郊外の空き家を見ると、そんな事も感じる。
何となくではあるが、windows95のOSの中で
ios等の端末を持った個人が生活しているように感じる。
結構な無理がある。
OSのヴァージョンアップが必要なのではないだろうか?
早く結婚していただくためには、何が必要となっていくのだろうか。
そもそも、OSを更新しても残すべき制度なのだろうか。
でも人生において長い時間を共有できる相手との出会いというのは、奇跡に近いと感じるのは確かである。