15年程前、ある施設から女の子を引き取った。
そして「はな」と名付けた。
HannaではなくHana。
家族として迎えるにあたって、施設に入った経緯を聞きたいか?
と訊かれたが、僕は聞かなかった。
引き取った当初は感染症にかかっていたものの、その後順調に育っていった。
3、4歳にもなると、遊びたい盛りとなり二人での散歩が日課となった。
毎週日曜日に限っては決まって6時30に起こされる。
そして牛乳瓶を抱えて公園へ向かうのだ。
飲み終えた瓶と引き換えに一週間分の牛乳とヨーグルトを買う。
そして、その場で牛乳を一杯ずつご馳走になる。
今でも記憶にあるのが、朝日の光と早朝のぼやけた感じの青空。
それから、他の農家の方達が販売する食材を購入しながら公園を散歩する。
「はなちゃんは女の顔をしてるわね。パパは渡さないって顔をしてるもの。」
こんな事を言われた事もあった。
やはり女性は大人になるのが早いようだ。
その後、交際相手の女性と住み始めて3人の生活となった。
彼女も実の子供のように、はなを可愛がった。
観ていると、母性と父性というものが必要な事を実感する。
そして、はなが8歳の時。
彼女の結婚が決まり、はなを引き取る事となった。
僕はそれ以来、はなとは会っていない。
はなも15歳になり、年頃? だ。
立派な老犬である。
僕の中には、8歳までのはなしかいない。
それはきっと、ご両親が歳を重ねても愛娘は7歳のままであり、13歳のままであるという事。
心の中の時間は止まっていて、それでも日常における時間は過ぎて行く。
時間は何人にとっても平等である。
それが人生という事なのだろうか。
神様、仏様、whatever様、where the hell are you?