久しぶりに紙の本を読んだ。というのも売れている作家の本に限っては、紙媒体のみでの発売が多い。読書に関してはもっぱらKindleを活用してiPhone で行うので、Kindle版も同時に販売して欲しい。これまで発行されたISBN書籍を電子化するファンディングがあれば是非とも参加したいものである。
作者前書の通り、ヒストリーとストーリーの語源が同じとあるように、読者が作者を通して日本という国の流れを追っていく内容となっている。勿論、ある出来事一つにしても読者自身の背景や立場によって見方が異なる。その点を一旦置いておいて、まずは作者の視点に委ねてみる。基本的には人類が文字を発明したことによって、物事を記す(残す)という行為が行われるようになった。しかし、ここでも記した本人の立場を考慮しなければならない。この点が史実を遡る点で最も困難な点の一つであろう。そして過去の物事に対しても、我々自身の育った環境や現在の立場によって無意識のうちに様々なフィルターがかかってしまう。よって、少なくとも社会的な立場が決まる前、つまり学生でいる間までの歴史教育が重要になってくる。例えば私の場合、十代を過ごしたのが90年代である。当時はインターネットも今ほど普及しておらず、情報源は活字かTVの時代である。情報を供給する側が決まっており限定されていた。自分がいる場所以外で起こっている事象をオンタイムで知るにはTVかラジオしかない。当時と今の決定的な違いは、今は供給側の組織に属さない個人であっても情報発信が可能である事だ。しかし、この場合でも発信する個人の背景によって伝達の仕方が異なってくる。
20年程前の事であるが、今でも忘れられない一言がある。当時働いていた店舗でオーナーのMikeに呼ばれて、店の前に出て言われた一言。”I’ll show you America.” そして、我々の視線の先にあったのはDodge Chargerというクルマ。勿論、彼は誇らしげな表情である。この時の私が感じた違和感。当時は何が理由だったか分からなかったが、今になってわかる。幼少の頃からバックトゥザフューチャーなどの映画に始まり、スケートボード、音楽、洋服などのアメリカンカルチャーに浸かって育った私に取ってはクルマにしろ全てがカッコイイものの対象であった。まさにBad Assなのである。
しかし、当のアメリカ人が自国のカルチャーを私と同じようにカッコイイと感じる事。実際のところはその逆であって、アメリカ人が自国が生み出すカルチャーをカッコイイと思うのは当然で、そのようなカルチャーを持たない国の私のような人達が憧れるわけである。
当時の私は自分の国である日本文化について心底カッコイイと思えるモノ、コトが一切思い付く事が出来なかった。20年経ち、オッサンになり今更ではあるが、強く思うのが少なくとも私達の世代までは自国を誇るという事を教わる機会が無かったという点である。少なくとも自己のアイデンティティを置く国に対して、誇りを感じられない。もしくは卑下したり、憎しみを感じるような発言をも聞く機会が多い状況というのは非常に残念な状況である。日本国籍を持つ人間としての共通認識を形成するための教育が全く機能していないのである。これは一個人に置き換えてみると明らかに機能不全な状態である。自己肯定できない個人が他人をどのような人間か認識し、そして接することが難しいのと同じである。
読後に思わされたのは、やはり1945年の敗戦によって私達の先人が紡いできた糸が切られてしまったという点である。米国は応急処置として切れた糸を繋いだかに見えたが、今になって繋いだその糸の種類がオリジナルではないことが判ってきた。切れた糸を本来の糸で修復する必要があるのは当然であるが、まずは我々が糸自体についてを調べなければならない。この事を70年以上サボってきたのである。勿論、妨害している勢力もあるわけで、この点についても国のアイデンティティが形成できていない点が問題であると思われる。自国を愛するイコール排他的ではなく、誇れる自国で生活する事によって他国を知ることが出来るのではないだろうか。正に本の帯にあるように、私達は何者なのか。今一度、私達自身で問い直す必要があるのではないか。そして、今の子供達が他の国の人に対して”I love my country.”と自然と言えるような状況にしたいと強く思うのである。